<目次>
1.ヨーロッパにおける新しい秩序
<資料>東ヨーロッパ―共産主義根絶の戦争
2.第二次世界大戦中のドイツ社会
<資料>第二次世界大戦中の、ナチズムにたいするドイツ人のレジスタンス
3.ヨーロッパのユダヤ人
<資料>ゲットー、虐殺、処刑―ユダヤ人虐殺の第一段階
4.強制収容所の内部
<資料>アウシュヴィッツ
対談を組織して、証言を分析する
第2章 ドイツ支配下のヨーロッパ第二次世界大戦の勃発はヒットラーに、彼の拡張構想を実現する手段を与えた。「ヨーロッパの新しい力関係」は、ドイツ軍による言語に絶する暴力をともなった占領を現出させた。何十万人というヨーロッパの人々が、強制労働、飢餓、処刑、そして大量報復にさらされた。ナチスはヨーロッパに住むユダヤ人のすべてを方法的に絶滅させるという、歴史に例を見ない行為をおこなった。

ドイツによる占領は、これまでの軍事占領とどのように異なるのか?

ドイツ人は、軍隊による暴力が推し進められたにもかかわらず、どの程度までヒットラーの体制を支持したか?

どのような状況の下で、ユダヤ人のジェノサイドはおこなわれたか?


1939年10月 「AT作戦」(「安楽死計画」)*1

1941年5月以降 ソ連におけるアインザッツグルッペン*2 についてのドイツ国防軍との協定
★1941年6月22日 ソ連に対するドイツの攻撃

1941年6月以降 ソ連に対する軍事行動のなかで、アインザッツグルッペンによって遂行された虐殺

1941年9月 バビ・ヤールの虐殺*3

1941年12月7日 指令「夜と霧*4 。

1941年12月 最初の絶滅収容所(ヘウムノ収容所)。

1942年1月20日 ヴァンゼー会議*5

1943年2月18日 ハンスとゾフィーのショル兄妹*6 が、ミュンヘンで逮捕される。
★1943年4月19日 ワルシャワ・ゲットーの蜂起。

1944年7月20日 ヒットラー暗殺未遂。
★1944年8月1日 ワルシャワ蜂起。

1945年1月27日 アウシュヴィッツ強制収容所の解放。
★1945年2月13-14日 ドレスデンの爆撃。
*1 Aktion T4 ―ナチスによって実行された、身体障害者や精神障害者をガス室において殺戮する組織的犯罪。「安楽死計画」とも呼ばれた。
*2 ナチス・ドイツの保安警察 (SiPo) と保安部 (SD) がドイツ国防軍の前線の後方で「敵性分子」(特にユダヤ人)を銃殺もしくはガス殺するために組織した部隊。
*3 ウクライナのキエフの村バビ・ヤールにおいて、3万3千人のソ連軍捕虜、共産党員、ユダヤ人、ジプシー、ウクライナ民族主義者、連行された市民など3万3千人が、ドイツ軍によって銃殺された。その後も銃殺はおこなわれ、大戦中の犠牲者は10万人にのぼる。
*4 サボタージュ、レジスタンスに参加する者、およびドイツ帝国およびドイツ占領軍に反対するものをドイツに移送して、最終的には秘密裏に殺害する指令。ヒットラーが指令し、軍最高司令官が署名、占領地全域に徹底させた。
*5 ナチス政府高官が集まり、ヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害について分担と連携を討議した会議
*6 ミュンヘン大学の学生で組織する反ナチ組織「白バラ」の中心的な役割を担った。

住民を恐怖に陥れる―ユーゴスラビアにおける裁判抜きの処刑

1941年夜、ベオグラード近郊において、一人の親衛隊兵士が襲われた後、36名のセルビア市民が、軍事裁判による見せしめのための死刑を言い渡された。この写真は、ヨーロッパの東部および南東部の住民に対しておこなわれた暴虐に、親衛隊だけでなくドイツ軍も関与していたことを証明している。

虐待される住民―ワルシャワのゲットーからの強制排除

ワルシャワ・ゲットーの蜂起(1943年4月19日~5月16日)の時におこなわれた、ユダヤ人の一斉検挙。世界的に有名なこの写真は、第二次世界大戦の期間中におこなわれたユダヤ人に対する虐待のシンボルとなった。
これはフランスのLycée 1(日本の高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
スポンサーサイト
trackback URL:http://billancourt.blog50.fc2.com/tb.php/574-fa3044af