むかし眼光が鋭く、およそ芸人からほど遠い風貌をした、マルセ太郎という芸人がいました。芸名は、フランスのタントマイム俳優である、マルセル・マルソーをもじったそうです。
マルセ太郎の芸は、ものごとの本質に迫る執念からできているように思います。動物の形態模写(とくに猿)が評判になりましたが、それも動物になりきって初めて生まれる芸です。しかし動物の動作にとどまりません。歌舞伎、浄瑠璃、国会答弁、法廷、通訳、どれもその言語の音声的特徴だけを鋭く捉えて、情景を再現するのです(日本語さえも意味不明)。
圧巻は「スクリーンのない映画館」です。マルセ太郎は自分の音声的表現能力、いや音響的表現能力によって、たとえばイタリア映画ではイタリア語らしき音響で、映画のシーンを再現します。あの「鉄道員」のサウンドトラックに匹敵する真迫力がありました。そしてそこには、彼の執念と努力が詰まっていたのです。
マルセ太郎が地方で公演した映像を、最近You-Tubeで見ました。なぜか東北の神社の前での公演です。動物の形態模写や方言指導などを終えて、最期に、映画「パリは燃えているか?」のシーンを次のように語るところがあります。
「仏軍がパリの凱旋門にさしかかる。パリジェンヌは戦車に登って、フランス兵士にキッスをする。そしてどこからともなくフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が起こり、それが大合唱になる。もし日本が占領されたとしよう。自衛隊が侵略軍を駆逐して東京に入って来た。日本の女性が、自衛隊の兵士にキスをする。今の日本だったら起こりうるでしょう。やがて皇居前にさしかかる。そして国歌だ!
しかし日本では、国歌は「皆さん、ご起立願います」からしか始まらないのです。だったら、東京音頭でも歌うか・・・」
これが、マルセ太郎が捉えた「パリは燃えているか?」の本質です。東北の神社の前の、地元の観客を前にして、日頃思っていることを吐き出したように、私には思えました。
マルセ太郎は、ガンの治療をおこないながら精力的に公演をおこない、2001年に68歳で亡くなりました。
先日なくなった立川談志は、マルセ太郎を高く評価していました。ある時、小さな酒場で行われたマルセ太郎の独演会にふらりと現れ、冒頭、観客の前に立つとこう述べたといいます。「テレビでたけしを見る、タモリを見る…これは文明だ。今夜、この店でマルセ太郎を観る…これは、文化だ」。
独自の芸を切り拓いた者どうし、共有するものがあったのでしょう。
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