
ユーゴスラヴィアの共産主義とレジスタンス― チトー

クロアチア出身、ヨシップ・ブロズ・チトー(1892年-1980年)、1937年からユーゴスラヴィア共産党の書記長、ドイツ占領とウスタシャ(アンテ・パベリッチが率いる民族主義団体)の対独協力体制に対するパルチザン闘争に全力を注いだ。1980年に死去するまで、解放されたユーゴスラヴィアを指導した。
ナチスの指導者たちは、何を根拠にして、どのような原理によって、ヨーロッパ大陸を再編しようとしたのか?
大ドイツ帝国とその衛星国
ナチスにとって戦争は、「アーリア民族」による、ヨーロッパの永続的支配を保証するものであったに違いない。ドイツはこうして、植民の対象とみなした領土を併合していった。他の征服された国は、ドイツ軍司令部の権限下におかれるか(フランスの占領地域)、あるいは保護領になった(東ポーランド、ソ連領)。
ヒットラーは打算的な理由から、ヨーロッパのいくつかの国(デンマーク、フランスのビシー政府、ヨセフ・チトーのスロヴァキア、アンテ・パヴェリッチのクロアチア)にたいして、国家主権の体裁を保持することを認めた。対独協力については、ヒットラーにとって、せいぜいこれらの政府を締めつける手段でしかなかった。地方では極めて評判の悪い
対独強力者たち(ベルギーのデグレル、ノルウエーのクヴィスリング、フランスのドリオ)を、占領軍は信用しなかった。
搾取され、隷属させられた人民
ドイツ占領は、とりわけ下等民族とみなされたスラブ人の人々に対して容赦がなかった。1939年10月にドイツ民族性強化国家委員に任命されたヒムラーは、ドイツ帝国に併合されたポーランド西部における「民族浄化」に着手した。そして数十万のポーランド人が、ユダヤ人も非ユダヤ人も、ハンス・フランクが指導するポーランド総督府政府の方に追いやられた。ポーランドの知識階級も教会関係者も、大量虐殺された(迫害と計画的殺戮)。
ドイツの支配は、ボルシェヴィズムに対する「絶滅作戦」とヒットラーが表現したソ連侵攻(バルバロッサ作戦)がおこなわれた1941年に、さらに急速に拡大した。
アインザッツグルッペン[作戦部隊―仮訳] の4部隊が、「ドイツ帝国の敵」とみなされた数十万人の市民、すなわちユダヤ人および共産主義者を虐殺した。こうしたことを背景に、「ユダヤ人問題の最終解決」が準備される。
西ヨーロッパでは、ドイツの徴用が欠乏を持続させ、闇市をはびこらせた。東ヨーロッパでは、住民が意図的な飢餓状態におかれた。占領軍は、大量の労働力をドイツに移送した。
親衛隊SSや
ゲジュタポが、恐怖の警察制度をつくりあげた。レジスタンスが組織されるにつれて、占領軍は報復を増大させ、人質として逮捕した者たちを処刑した。1942年12月に発せられた指令「夜と霧」が、すべての「ドイツ帝国の敵」の国外追放および強制監禁を命じた。
ヨーロッパのレジスタンス
危険かつ困難であることから、レジスタンスの軍隊化はきわめて少数にとどまった。ロンドンは亡命政府を受け入れ、ヨーロッパのレジスタンスの拠点となった。ヨーロッパの東南部(ギリシャ、ユーゴスラヴィア)では、レジスタンスは
パルチザンによるゲリラ戦の形をとった。ゲリラ戦に適さない西ヨーロッパでは、レジスタンスの地下組織網が英米連合軍に情報を与え、サボタージュによってドイツ軍の移動を妨げ、ビラや非合法の新聞によって、市民の動員を維持しようとした。1943年から
マキが、フランスやイタリアにおいて拡大した。
レジスタンスは、共産党の支持の拡大に貢献した。共産党の反ナチス闘争が、多くの国で国民解放の大きなうねりと一体になったからである。逆にポーランドでは、人々は
独ソ条約によって、国が分裂されられたことを忘れておらず、国内軍
AKはソ連による国の占領を避けようとした。1944年、国内軍はスターリンの支援なしに独力でワルシャワ蜂起を決行したが、ドイツ軍に鎮圧された。
<用語の解説>
AK ロンドンの亡命政府寄りの、ポーランド国民軍。
対独協力者 ナチスのイデオロギーの信奉者で、占領に最大限の協力をする支持者。
アインザッツグルッペン 治安警察の部隊、および国防軍が征服した領土において「ドイツ帝国の敵」の消滅と治安を任務とする、5D(親衛隊SSに属する組織)の部隊。
ゲシュタポ 国家社会主義の秘密警察。
マキ 地下のレジスタンス軍隊が編成された人里離れた地域。それが軍隊化したレジスタンスのグループの総称を意味するようになった。
独ソ条約 1939年8月23日に、ドイツとソ連の間で調印された不可侵条約。ポーランドとバルト諸国において、お互いの勢力圏の分割を目的とした秘密議定書を含む。
パルチザンとマキ闘士 人里離れた地域、あるいは踏み入ることが困難な場所(山岳)で編成された、ドイツ占領軍にたいするゲリラ活動をおこなうレジスタンス軍隊。
親衛隊SS 国家社会主義ドイツ労働者党の軍隊組織。最初の時期はSAの下に置かれ、「長いナイフの夜」以降に力を蓄え、体制の主要な勢力となる。
これはフランスのLycée 1(日本の高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
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