今日は、「半大統領制」(憲法学者モーリス・デュヴェルジェが命名)であるといわれるフランス共和国の政治体制を概観します。
議院内閣制の第4共和制 1940年のドイツ軍の占領から1946年までの6年の間、フランスは正規の憲法を持ちませんでした。解放から2年たって第4共和国憲法が、二度にわたる国民投票を経て成立しました。
この共和制は議院内閣制をとり、大統領には実質的な権限を与えず(内閣は国民議会が直接選出した)、形式的な存在としました。また国民議会(下院)の権限を強化して、政府を監視しました。 第4共和制は12年間存続しましたが、アルジェリア現地での独立反対派の反乱に対応できず崩壊しました。そしてこの反乱の処理をまかされたのが、皮肉にも第4共和制に距離を置いていたドゴールであり、彼は第4共和制最後の首相として、第5共和国憲法の制定を委任されました。
第5共和制の誕生 ドゴールには、憲法起草にあたって次のような原則を尊重することが求められました。つまり国民主権の原則、行政権と立法権の分離、議会に対する政府の責任、司法権の独立などです。
ドゴールは第4共和制における議院内閣制を維持しつつ、大統領の権限を強化しました。すなわち内閣は大統領が任命するが、議会の承認を必要とするとしました。このほかにも国民議会の解散権、国民投票の実施あるいは緊急措置令などの権限が大統領にあたえられました。大統領制と議院内閣制の折衷であるといえる第5共和制の政治体制は、「半大統領制 」とよばれます。第5共和国憲法は国民投票を経て、1958年に制定されました。そして1962年の憲法改正によって、大統領の選出を普通選挙(2回投票制)によっておこなうとし、大統領の権威を高めました(それまでは間接選挙)。ドゴールは1959年に、第5共和国最初の大統領になりました。
コアビタシオン(保革共存) 大統領の任期(7年)と国民議会議員の任期(5年)が異なることから、選挙で支持を獲得した議会多数派が、公選によって選出された大統領と保革の立場を異にする場合がうまれてきます。当然大統領が任命した自派の内閣は、国民議会で承認されません。こうした矛盾を解決するためにうみだされたのが、コアビタシオン(保革共存)です。つまり大統領が、国民の支持を得た反対党の内閣を任命するのです。
最初のコアビタシオンは、1986年の社会党ミッテラン政権のときのシラク首相(共和国連合RPR)です。二度目はミッテラン大統領2期目の1993年で、バラデュール首相(共和国連合)が首相になりました。そして三度目が1997年シラク大統領のときのジョスパン首相(社会党)です。
コアビタシオンの解消および第6共和制の予兆? 2000年、大統領の任期が7年から5年に短縮されました。これは大統領選挙と国民議会選挙を同じ年におこない、コアビタシオンを解消することを目的にしています。しかし必ずしも大統領の属する党派と、選挙で選出された多数派が同じである保障することにはなりません。2007年サルコジ大統領(UMP)を選出した大統領選挙のあとの国民議会選挙で、大統領与党の民衆運動連合UMPが過半数を維持したものの大幅に議席を後退させたことをみれば明らかです。
ある論者は7年任期制から5年任期制への移行を、第5共和制にたいする懐古主義を捨て去り、「近代的」議会制を内容とする第6共和制への予兆を感じとっています。しかし他の論者は、5年任期制の移行は反対にアメリカをモデルにした大統領制の創設を意味し、政治的スターによって制度の認識が希薄化していくのではないかと危惧します。
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