これは、ヒトラーから離反した、一人のナチス党員の証言である 「私は青少年にたいして、私の教育実践を開始しようと思う。自分を前にして、世界が震え上がるのだと、青少年に信じ込ますのだ。粗暴で、大胆不敵で、残忍な青少年。彼らが若い獣がもつ強さと美しさをもつことを、私は望む。肉体を鍛えることだけを、彼らにたたき込む。私は、知的な教育はいっさい求めない。私が彼らに望むのは、ただ一つ。恐怖を抑制する技を身につけることだ」。
H. Rauschning, 「ヒトラーは、私にこう言った」1940年
新しい規則 a.嘲弄される自由
当局によって次のことが認められた。諸個人の自由、出版の自由を含む表現の自由、集会の自由にたいする制限、そして郵便物、電報、電話などの通信の秘密の侵害、さらに家宅捜索、財産の没収、所有権の制限。
第三帝国の官報、1933年2月28日および5月24日
b.新しいドイツ市民
市民のみが、市民的権利を享受する。市民であるためには、ドイツ人の血統が必要である。それ故、ユダヤ人は、何人も市民でありえない。市民でない者は帝国から追放されねばならないだろう。
「ナチスのプログラム」、1920年
選挙 1933年11月8日ゲッペルス(情宣相)は、ラジオでの対談で、議会選挙の新しい選挙の意味について説明する。
質問―なぜ新議会なのですか?
回答―政府はこの8ヶ月の間に、これまでの40年間の政府より多くのことをやり遂げた。これまで実現したことは、アドルフ・ヒトラーの改革の仕事の始まりでしかない。これまでの議会は、この新しい歴史的義務まで高まっていなかった。議会主義の刻印の下に選ばれてきており、いまだに政党の寄せ集めである。
質問―しかし、もし国家社会主義労働者党しか存在しないならば、この選挙の意味は何ですか?
回答―この選挙は、一つの戦線に団結するドイツ国民の姿をはじめて示す 我々は、ただひとつの合金で鋳造された議会をもつことになる。これが、アドルフ・ヒトラーの指導によってつくられたリストの意味である。もし人民が、全体として、明快に、このリストに賛同するならば、我々はついに、政党の分散と不愉快な反目を乗り越えることができるであろう。
白バラ抵抗運動 ソフィ・ショールは、1921年5月にドイツに生まれた。1942年から、ミュンヘンで生物学と哲学を学び始めた。しかし他の学生とともに、ドイツをその中に沈めた全体主義を拒否し、精神の独立を守ろうとした。1942年6月から他の学生と集まりをもち、学生たちが、ナチス体制と戦争に反対するビラを印刷し、配布するのを手伝った。1943年2月18日、ミュンヘン大学の中庭でビラを撒いた後、管理人によってゲシュタポに密告され、兄のハンスとともに逮捕された。1943年2月22日、見せかけの裁判のあと死刑を言い渡され、その日のうちに斬首刑に処せられた。
フランスの中学4年(日本の中3)の教科書「市民を学ぶ―みんなで成長しよう」から
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