社会の主役たちは、いかにして政府へ影響を与えたか?
政府の法案初期雇用契約CPEは、26歳未満に適用する、無期限の契約である。ドミニク・ドゥ・ドヴィルパンが提案したこの契約は、2年間の「試用期間」をともなう。この期間中は、雇用者は理由を提示することなく被雇用者を解雇することができる。この契約は、20名以上の私企業にのみ適用される。
無期限契約CDI―期限の定めなく、雇用者と被雇用者のあいだで結ばれる労働契約
CPEに対する闘いの展開 (2006年1月~4月)
1月16日―ドミニク・ドゥ・ヴィルパンは、彼の「雇用のための闘い」における第二段階の一環として、初期雇用契約CPE*1の創設を発表した。これは、2年間の試用期間を組み合わせた、26歳未満を対象とした契約である。労働組合と左翼政党は、雇用の不安定化を強めるとして告発した。

1月31日―CPEの撤回をもとめて、労働組合と学生が最初の動員をおこなった。全国の約100カ所においてデモがおこなわれた。

2月7日―全国で218,700人(警察発表)から 400,000人(組合発表)が、CPE反対の尾デモをおこなった。

左翼が指導したこの反対運動に直面したドミニク・ドゥ・ヴィルパンは、機会の平等に関する法案を国民議会で採決するために、憲法49条3項に助けを求めた。反CPEのデモは、学校の休暇中にもかかわらず、続行した。

2月23日―高校生組合と大学生組合の共同行動が始まった。

3月1日―学生組合UNEFによると、13の大学がストに入った。

3月7日―396,000人(警察発表)から100万人(CGT発表)が、CPE撤回を求めるデモをおこなった。

3月9日―「機会均等についての法」案は、ついに国民議会において採決された。労働組合と高校生および大学生の組織は、3月18日をあらたな全国デモの日にすると呼びかけた。
労働組合は共同で、3月18日(全国で100万人を超えた)、3月28日、4月4日(CGTによると300万人を超えた)に向けたデモを呼びかけた。

4月11日―ジャック・シラクとドミニク・ドゥ・ドヴィルパンは、CPEを撤回した。
憲法49条3項―首相は閣議で討議した後、法案の議決について国民議会に対し政府の責任で処理することができる。この場合、24時間中に政府に対する問責決議が可決されない限り、可決したものとみなされる。
組合からの視点と期待 労働組合および学生とドミニク・ドゥ・ドヴィルパンの押し相撲を、経営者団体Medefは独自の立場から見ていた。会長のローランス・パリゾは昨日、首相が呼びかけた交渉のあいだ「CPEの一時保留を求めるのは、理屈に合わない」と意見をのべた。
ル・フィガロ紙、2006年3月15日付
フランソワ・シェレーク(CFDT)、ベルナール・チボー(CDT)、ジャン-クロード・メリー(FO)それに学生組織とヴィルパンの話し合いは、全体的に労働組合のペースで進んだ。3月24日は、1月16日にCPEが打ち出されて以来、彼らが政府代表に受け入れられた初めての日であった。労働組合のリーダーたちは、首相が「撤回」という言葉を発するのを期待した。あるいは少なくとも新たな交渉に入るために、施行を一時保留することを願った。
ル・ヌーベル・オプセルバトゥール誌、2006年3月30日-4月5日号
フランスの中学4年(日本の中3)の教科書「市民教育」より
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