ファッショ体制は、安定した手法で自らを組織しようと努める。唯一の党を用いて、国家を統制することに成功した。新しいエリートたちは、一人の指導者、「総統」Führer あるいは「統領」Duceを陰のように支えることを自らに課した。

街をパトロールする警官と突撃隊員(1933年)
1.権力の二元的組織化
→唯一の党の存在は、ファシズム運動の継続性を保証する手段である。機構を取り除くことなく、党は国家の構造を徹底的に二重にしていく。イタリアでは、ムッソリーニが第二の政府、ファシスト大評議会をつくった。
→さらに「総統」あるいは「統領」は、権力を強固にするために、自分でつくった諸組織を競合させた。たとえばヒトラーは、突撃隊SAと、より忠誠度が高い親衛隊SSの間に敵対関係が生まれるようにしむけた。そして隊長のレームを含む突撃隊の幹部を暗殺させた。1934年6月30日の「長いナイフの夜」である。
→公正な国家は、もはや重んじられない。法律が複雑に入り組んで、法律と指導者の単なる命令との境界がぼやけてくる。成文法は公にされず、個人は気まぐれのように変わる合法性に翻弄される。
だれがファシストか?
→各政党は、[ナチスの]構成員数が目がくらむような数になっているのを知っていた。2万7千人だった国家社会主義ドイツ労働者党の党員は、1939年には530万人になっていた。活動家の大部分は、中産階級の出身であった。
→[イタリアの]ファシスト党の社会的構成は、不鮮明である。全体的に募集の範囲はいぜんとして、1930年代から大量に入党してきた伝統的エリートに拡大している。女性だけは、一貫してファシスト党に距離を置いている。
→ドイツにおいては、ナチスへの投票がきわめて一時的なものであったとしても、次のような不変数が存在する。すなわち新しく登場した教養ある中産階級が優勢を占めることである。しばしば大学や官公庁の職員の家庭であったり、自身職員であったりする。また1929年の経済恐慌のしばらく後の農民の協力、労働者階級による無視できない支持もある。また青年の層の厚さ、カトリックに比べプロテスタントの断固とした支持、共産党に投票しようとする失業者の比率の低さも確認できる。
3.指導者の神話
→指導者は党と国家を同時に指導する。1934年、ヒトラーの公式の肩書きは、例えば「総統にして、第三帝国首相」である。彼は絶対的優越性を保持するために、自分の信奉者や友人のなかから、複数の人物を党の責任者に任命し、彼らを優遇した。いわゆる恩顧主義である。
→指導者は、絶対的な権力とカリスマ性にもとづく絶大な人気を結びつける。そして彼の人格は、国民のなかで神話と化していく。
指導者の神話は救世主という形を介して、キリスト教文化を拠り所とする。それ以上に、指導者のイメージは、ローマ皇帝を手本としている。「総統」や「統領」の神聖化は、しばしば嫌悪感をともなってなされる党への批判をはねつける作用をする。
ナチス党の組織は、国家の組織と重なる

<国家>
帝国首相→帝国大臣→国務次官→州首相→郡議会議長→地域議会(行政機関)→市長
<党>
党指導者→大管区指導者(43)→郡管区指導者→市町村政治指導者
*訳語は的確でないかもしれません
高校2年生の歴史教科書より
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