暴力を手段とする政府
テロリズムリズムは、ファシズム体制およびナチズム体制の中心問題である。過激な暴力は強制の手段であるばかりでなく、賛美すべき価値でもあった。
1.反対派の除去
→全体主義社会を建設するために、自由はすばやく圧殺された。イタリアでは、1925年から1928年の間にfascistissime諸法が押しつけられた。労働組合は禁止され、政党や地方選挙が廃止され、特別法廷*が設置された。ドイツでは、ナチスが政党や労働組合を禁止し、数ヶ月の間に対抗勢力を排除した。そして1933年3月29日の法律が、自由を圧殺した。
*軍事裁判所である国防特別法廷のこと
→国家の抑圧機関は、反対派を攻撃した。1933年から1945年の間にドイツの法廷は、16,500人に死刑を言い渡した。ハイドリッヒは、秘密警察ゲシュタポを統括する公安機関である国家保安本部RSHAと、党の公安組織である親衛隊情報部SDを指導した。イタリアでは、政治警察であるOVRAが反対派を逮捕し、強制収容所に送った。
→1933年以降、5万人のドイツ人がミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所に収容された。その数は戦争前日には100万人近くとなり、親衛隊SSの管理の下に30近くの収容所に送り込まれた。そこでの死亡率は平均60%であり、ソヴィエトの収容所における死亡率の6倍であった。ファッショ体制は、私生活に属するおこない、すなわち信仰(エホバの証人の証言)やフリー・メーソンへの所属も犯罪とした。
2.社会を再編するために排除する
→それ故テロリズムは、謀略的な理屈によって「国民の敵」とみなす恣意的な断定に立脚する。
→ファシストは、「非社会的」と判定された構成員の犠牲のうえに、社会の結束を強化する。ジプシー、浮浪者、乞食、娼婦、アルコール中毒者、不服従の失業者などである。1939年から1939年にかけて、5万人の同性愛者が収容された。
→ドイツではこの論理が、「アーリア人の純血」という名の優生学となる。40万人の身体および神経障碍者が不妊処置を施され、多数の精神障碍者がガスによって殺された(1939年から1941年までに7万人が犠牲)。
→反ユダヤ政策は、この一連の政策のなかで最も重要な位置を占める。1935年のニュールンベルグ諸法は国内のドイツ系ユダヤ人を排除するもので、とくに1938年の「水晶の夜」を契機として、ユダヤ人の大量虐殺に導いた。
3.抵抗運動は可能だったのか?
→ファシズムは、暴力に最高の価値を与えたが、これは個人および社会の退化の兆候である。
→テロリズムは、国民の一部の、時には積極的な支持がないと不可能であった。すなわち密告、容認、順応的態度などである。そしてもっとも多く見られるのが、諦めと同意との同居であった。たとえばドイツのカトリック教会は、障碍者に関して優生学[の適用]を宣言することで、ヒトラーを、とりわけ彼の反ユダヤ政策を支持した。
→断固とした抵抗は極めてまれであり、困難でもあった。それでも全体主義体制は、いくつかの伝統的な連帯、宗教的なサークル、労働者階級、共産主義者の小集団に出合うことがあった。その時には、自由の隠れ家にいる仲間のために踏みとどまった。逆に孤立して残留を希望する者は、国外退去させられた。一時パリは、国外追放者の都となった。「正義と自由」というグループに結集したイタリアの知識人たちは、1928年に反ファッショ戦線を組織した。
<用語説明>
アーリア人―言語学的に使われた「北欧の人種」を意味する言葉に由来する。ナチスはそれを、白色人種のなかの優れた人種と考えた。そしてユダヤ人がアラブ人も含む劣等人種「セム系諸族」に属することをもって、ユダヤ人迫害の正当化の根拠としている。
優生学―「民族」の浄化、改良を実践する。
テロリズム―テロルを手段として用い、政治活動の原理として打ち立てるポリシー。
謀略的な理屈―国の困難のすべての原因を、ひとつのグループ(ユダヤ人、フリーメーソン、外国人)に求めて、一貫して非難することで成り立つ理論。
全体主義―個人の絶対的支配をめざす政治体制。
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