虐殺の機動作戦―「Jäger報告」
1941年6月にKarl Jägerは、特別行動部隊Einsatzgruppe Aの出動分遺隊Einsatzkommando第3部隊EK3を指揮していた。1941年末から1943年9月までは、リトアニア地域の保安警察とSD[情報機関]を指揮した。1945年以降は、ハイデルベルグ地方で農業労働者として働いた。1959年4月に逮捕され、6月22日に独房内で首つり自殺をした。
1941年12月1日までに出動分遺隊第3部隊が実行した処刑の総括
Hamann親衛隊中尉の命により、EK3分遺隊の信頼できる部下8~10名を組織し、リトアニアの愛国者たちと協力を得て、以下に示す作戦に取りかかった。(以下9ページにわたって、村ごとの殺戮の陰惨な総括が続く)
総計137,346人
本日、EK3は決められた目標を達成し、リトアニアにおけるユダヤ人問題を解決いたということができるだろう。特別任務に就くユダヤ人労働者を除けば、この地域には、もはやひとりのユダヤ人もいない。[…]
この種の作戦はなによりもまず、事前の計画が大切であった。ユダヤ人をひとつの地域から一掃する計画のすべては、個々の作戦が綿密に準備され、作戦に予定された地域の地形を把握することにかかっている。ユダヤ人を一カ所か数カ所に集め、そして人数に応じて必要な穴を掘る場所を見つけなければならない。集めた場所から穴まで歩く距離は、平均4,5キロであった。ユダヤ人を500人づつの列に分け、少なくとも2キロの距離をおいて処刑の場所まで向かわせた。
EK3の使命はほとんど完了したと私は考える。今、いく人かのユダヤ人労働者を緊急に必要としている。冬の終わりになれば、また必要になるだろう。私は、いっさいの生殖を阻むために、男性の去勢手術を始めなければならないを思っている。それでもユダヤ女性が妊娠したばあい、女性を始末しなければならない。
E. Klee、W. Dressen、V Riess、「彼らにとって『あのときは楽しかった』」より引用。
ナチスの死刑執行人の日常生活、S. Fisher Verlag, フランクフルト/マイン, 1988年
Erntefestの大量虐殺(「収穫祭」)、1943年11月 1943年11月ヒムラーは、MajdanekとPoniatowa のユダヤ人労働者収容所の一掃を命じた。これは「収穫祭」(Erntefest)と名付けられた大作戦の一環で、42,000人の犠牲者を出した。戦争中ナチスが犯した虐殺のなかで最も大規模なものである。作戦の一部を担ったのは治安警察予備軍の101大隊であったが、そのうちの生存者が、1960年代に生存者がドイツ連邦共和国の裁判所に起訴されている。この資料は、彼らの一人(法律により匿名が守られている)が証言した内容である。
私と私の分隊は、共同墓穴を正面にして見張りをしていた。それはひと続きの溝で、(おそらくユダヤ人に自分の墓穴を掘らせるときに、防護のための穴だと思わせるために)ジグザグに掘られてあった。穴は約3mの幅、3~4mの深さに掘られていた。私の持ち場から、ユダヤ人が最後の小屋で脱衣を命じられ、それからふたたび服を身につけ、我々の列の間を通り抜けるようにして溝の方へ連れてこられた。親衛隊情報部SDの兵隊がユダヤ人を処刑の場所に追い立て、軽機銃で武装した別のSDの兵隊が溝の縁にいるユダヤ人を銃撃した。私は分隊の隊長だったので、他の者よりも自由に移動できた。わたしは一度、処刑の行われている場所まで行って、新たに連れてこられたユダヤ人が、すでに銃殺された死体の上で横になるのを見た。そして今度は彼らが軽機銃の弾丸を浴びせられた。SDの兵隊は、死体の山が溝に収まり、次のユダヤ人が3mの高さになったその上に横たわることができるように気を遣って射撃した。私がそこで見たことは、私の生涯を通してもっとも恐ろしい光景であった。傷を負っただけのユダヤ人が、とどめの一発を受けることなく、生きたまま次の銃撃を受けた死体の下敷きにされた。私は死体の山の下から、親衛隊SSを呪う声がするのを耳にした。
C. R. Browning「普通の男たち」からの抜粋。「ドイツ警察101予備大隊とポーランドにおける最終解決」、Les Belles-Lettres, パリ, 1994年
学習の足跡
1.なぜドイツの指導部は、ユダヤ人住民をゲットーに集めざると得なかったのか?それは、どのような結果をもたらしたか?
2.ユダヤ人の迫害をウクライナの民族主義者に許したことは、ナチスにとってどのような利益があったのか?
3.アインザッツグルッペンの使命はどのようなものか?なぜ女性や子どもも処刑されたのか?
4.大量処刑は、どのように準備されたのか?資料「収穫祭」の大量虐殺の証言者は、なぜ大量虐殺の責任が親衛隊SSにあると証言する必要を感じたのか?
結論として
5.ヨーロッパのユダヤ人の絶滅のプロセスはどのように構想され、1941年に実行されたのか?
アインザッツグルッペン 治安警察の部隊、および国防軍が征服した領土において「ドイツ帝国の敵」の消滅と治安を任務とする、5D(親衛隊SSに属する組織)の部隊。
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