に収容された人数の多さに現れている。1939年には21,000人であった収容者数は、1945年1月には700,000人に増加した。約20カ所に建設された主要な収容所、および1,000を超える付属の収容所に、あらゆる種類の「第三帝国の敵」(政治、人種、「社会非適用」、同性愛などを理由とした)が収容された。
収容所の環境は、急速に非人間化していった。収容者は、飢え、寒さ、病気(赤痢、結核、チフス)、そして彼らに加えられた暴力によって死亡した。親衛隊SS(
WVHA )の経済管理本部長官であったオズヴァルト・ポールの衝撃的な証言によれば、収容者は労働による絶滅政策の下に置かれていた。第三帝国内に建設された収容所だけでも、450,000人が死亡することになる。
死への収容所(ラウル・ヒルバーグ)―絶滅収容所 強制収容所と異なり、絶滅収容所は第三帝国の外につくられた。ポーランド総督府には
トレブリンカ、ソビボル、マイダネク、ベウゼェツ、そして占領ポーランドにはヘウムノ、アウシュヴィッツの各収容所である。強制収容された人びとは、大部分がユダヤ人であったが、大規模な強制収容所であるアウシュヴィッツを除いては、到着すると数時間後にガス室に送られた。
毒ガスによる絶滅の方法は銃殺より「効果的」で、執行する側の心理的負担も少ないとされた。こうしてガス室は、ナチスにとって最終的解決をおこなう上で「申し分ない」技術となった。ディーゼルエンジンで毒性ガスを送り込む方法、あるいは
ツィクロンB が、約20分で窒息させた。ユダヤ人の収容者(
Sonderkommandos )が、没収できるものは全て(衣服、髪、金歯など)没収し、
ジェノサイド の痕跡を消し去るためにその死体を火葬炉に入れ、灰にして処分する任務を課せられた。
ガス室は、人を丸ごと消滅させる作業をひとつの産業としておこなったジェノサイドとして、特別な性格を
Shoah [ユダヤ人大量虐殺]に与えた。執行者たちの証言によると、Shoahの犠牲者の数は、5百万人以上から6百万人までの間とされる。同様に人種的迫害の犠牲と20万人のジプシーも加えなければならない。
ジェノサイドを前にして世界は ジェノサイドは、秘密裏におこなわれなければならなかった。ガス室はシャワー室に見せかけた。表現は「最終的解決」あるいは「特別処理」といったコード名を使い、罪への恐れを隠し、執行者としての意識を軽減した。しかしポーランドのユダヤ人の大半は、自分の運命について知ることができなかった。ワルシャワからの最後のユダヤ人の強制収容が発表されると、ゲットーの蜂起が起こった。1943年4月19日のことである。
脱走者によって収容所の情報がもたらされたが、軍事的利用が優先され、英米連合軍は救出のための特別作戦をおこなおうとはしなかった。1943年9月、ヴァチカンで数千人のユダヤ系イタリア人を強制収容から救ったにもかかわらず、ピウス12世はヴァチカンの中立条約が失効するまで、第三帝国の反ユダヤ的犯罪を公式には非難しなかった。
多くのユダヤ人が、男女および団体の勇気ある行動によって、命を救われた。これらの個人・団体は、1953年からイスラエルにおいて
「諸国民の正義」 という称号とともに栄誉をたたえられた。1944年、スエーデンの外交官Raoul Wallenbergは、2万人を超えるハンガリーのユダヤ人にスエーデンのパスポートを交付して、彼らの命を救った。
ジェノサイド全体の犠牲者の概算 ユダヤ人―5,100,000人*(ヨーロッパユダヤ人の、1939年の人口の54%から64%の間)
ゲットー内および窮乏による―800,000人以上
野外での銃殺―1,300,000人以上
収容所内―3,000,000人まで
ジプシー―200,000人以上(全人口の約30%)
出典―ユダヤ人に関しては、ラウル・ヒルバーグの「ヨーロッパユダヤ人の絶滅」Gallimard社、パリ、2006年
* この数字は、アメリカの歴史学者ラウル・ヒルバーグの推定した最小数。より最近の研究によると、数字はもっと多くなる。Israel Gutman et Robert Rozett(ホロコースト百科事典、Macmillan, 1990)では最低5,596,000人から5,860,000人まで、Wolfgang Benz (ホロコースト、ミュンヘン、1995年)では最低5,290,000から6,000,000人まで。
収容所に到着してからガス室へ行く運命にあった大量の成人については、保存されていない。統計は断片的で正確でない。
<用語解説>
強制収容所 (Konzentration-slagerあるいはKZ)―収容者が、非人間的な条件で労働を強制され、虐待を受け、大量に殺害された収容所。強制収容所はおもに、ドイツ国内(ダッハウ、ブーヘンバルトなど)そして第三帝国の占領地(アルザスのストリュートフ、ボヘミア-モラヴィアのテレージエンシュタット)に建設された。第二次世界大戦中に建設され、ヨーロッパのユダヤ人の殺戮のみを目的とした絶滅収容所とは区別される。
Sonderkommandos ―ユダヤ人収容者で編成される「特別作業班」で、焼却炉で死体を処理する任務を負う。このうちのごくわずかな者が生き延びた。
WVHA ―親衛隊SSの経済管理本部で、1942年以降収容所を管理する主要な機関となった。
ツィクロンB ―それ以前は、殺虫剤として利用された。結晶体で貯蔵され、大気に触れると毒ガスに変化する。おもにアウシュヴィッツで使用された。
<キーワード>
ジェノサイド ある国民、民族、宗教のグループのすべてあるいは一部分を全滅させる意図のもとに犯す行為(1944年につくられた用語)。<再録>
Shoah ヘブライ語で「大惨事」を意味するShoahは、ユダヤ人の大量虐殺Géocideをあらわすのにより適切な言葉として1970年代から使われ始めた。アメリカやドイツではホロコーストHolocastが使われているが、聖書では殉教の犠牲者を意味することから、ときどき異議が唱えられる。<再録>
「諸国民の正義」 1953年からヤド・バシェム記念館によって、戦時中にユダヤ人の命を救った男女および団体に授けられた勲章。その数は、2006年1月1日で、21,310に達した。
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