占領されたパリ(1940年6月)
解放されたパリ(1944年8月)
一方的な敗戦の後、1940年フランスはドイツによって占領された。第三共和制は「崩壊」した。ペタン元帥が指導するビシー体制が1940年7月に確立し、「国民革命」の遂行と、ナチスドイツへの協力を宣言した。1940年6月18日から始まった、ド・ゴール将軍の呼びかけが象徴するように、レジスタンスは占領軍だけではなく、国民に対する裏切りとみなす「フランス国家」と戦った。フランス人のごく一部分が、占領下で積極的に協力あるいは抵抗したにもかかわらず、「暗い時代」の敵対が国民的記憶をしてつきまとい続けた。
→第三共和制に取って代わった体制の性格はどのようなものであったか?ファシズム体制であったか、あるいは強権的な独裁体制であったか?
→レジスタンスは、フランスの解放にどのように寄与したか?


1939年9月3日 フランス戦争に突入
―1939年9月~1940年5月 「奇妙な戦争」

1940年6月18日 ド・ゴール将軍の呼びかけ □1940年6月22日休戦協定
―1940年7月~1944年8月 ビシー体制

1940年10月24日 Montoireにおけるペタンとヒトラーの会見

1942年7月16ー7日 パリにおけるヴェル・ディブの一斉検挙
★1942年11月8日 連合軍の北アフリカ上陸

1943年2月16日 STO(強制労働奉仕)の創設

1943年5月27日 レジスタンスの統合組織全国抵抗評議会CNRの設立
★1944年6月6日 連合軍のノルマンディ上陸

Oradour-sur-Glaneの虐殺

1944年8月25日 パリ解放
―フランス共和国臨時政府

1945年5月8日 ドイツ降伏
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