占領地区におけるダビデの星着用の義務づけ
1942年5月29日のドイツ占領軍は、占領地区の6歳以上のユダヤ人すべてに、ダビデの星の着用を強制する命令を出した。そしてヴィシー政権は、南の地区への着用義務の拡大を断念するだろうと判断した。写真は、1914年から1918年までの戦争で片足を失ったことで着用を免除されたVictor Fajnzilber
ダビデの星の着用に対するフランス人の反応ダビデの星の着用を強制されたユダヤ人に示された、多くの思いやりと連帯の気持ちを語った、1942年当時中学生だったJacques Kの証言。反ユダヤ主義は、なによりも占領したドイツ人の問題として受け取られた。そしてそれに手を貸すフランス人にたいする不満が増大した。
「その朝、この屈辱の標章を服につけて学校に行かなければならないと思うと、胸が締めつけられる感じがした。ダビデの星のことである。私は重い足を引きずるようにして、いつの間にか校門まで来ていた。私はいちばん最後に、教室に入った。
教室にはいると、もう先生が教壇の机に座っていた。私は自分の席へ行けないでいた。みんなの眼が私の方に、私のダビデの星に向けられているのを感じた。すると先生が立ち上がり、私のところまで来て、私の手を握った。私は心が軽くなったような気がした。そして涙が流れてきた。なぜなら、クラスのみんなが、席を立って私に握手をしたのだ。その時、私は共和国の標語、自由・平等・友愛の意味を理解した」。
トゥールーズのSaliège大司教の、ユダヤ人強制収容に対する批判Saliège猊下のこの手紙は、1942年8月22日にトゥールーズの司教区の各教会で読み上げられた。
キリスト教の倫理というものがあります。義務を課し、権利を認める人間の倫理というものがあります。この義務も権利も、人間の本性から生まれたものです。それは神に由来するものです。侵すことのできないものです。 それを取り上げることは、人間のいかなる力を以てしてもできないものなのです。
いま子どもたちが、男たちが、女たちが、父たちが、母たちが、蔑まれた群れとして扱われています。ひとつの家族の一人ひとりがバラバラに引き裂かれ、行き先も知らずに汽車に乗せられています。この痛ましい光景が、私たちの時代に用意されていたのです。
なぜ私たちの教会に、かくまう場所がないのか?なぜ私たちは敗北主義に陥っているのか。主よ、私たちを哀れみを。マリア様、フランスのためにお祈りください。
私たちの司教区でも、Néo* や Récébédou* といった収容所において、おぞましいことが起こっています。ユダヤ人たちは人間です。ユダヤ人たちは女たちです。外国人たちは男たちであり、女たちです。ユダヤ人に対して、この男たちに対して、この女たちに対して、この一家の父や母たちに対して、何をやっても許される訳はありません。彼らは人類の一部です。彼らは、他の民族と同じように兄弟です。キリスト者は、それを忘れることはできません。
フランス、愛する祖国、すべての祖国の子らの意識のなかに、人を尊重するという伝統を植え付けたフランス、騎士道に富み、寛大なるフランス。私はそれを疑いません。祖国フランスは、この残虐行為に責任はないのです。
* 1941年初頭に、オート・ガロンヌに建設された、おもに身体障碍者や老人を収容する
強制収容所。
学習の足跡 その2
4.ユダヤ人強制収容が始まったのはいつですか?1942年からフランス人が少しずつ、ユダヤ人の運命に心を動かし始めたのはなぜですか?反ユダヤ主義への批判は、どのような価値に基づいてなされましたか?
結論として
5.占領下でフランスのユダヤ人が犠牲になった迫害に、ヴィシー体制はどのような役割を果たしましたか?
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