ドイツ、フランスそしてShoah
1960年代以降、ユダヤ人大量虐殺遂行の責任についての評価は、両国において歴史的論争を生み、世論に大きな反響を及ぼした。
1940年ヴィシー政権が、南の地区に発布した「ユダヤ人の身分についての法律」を発布したことは、ごくわずかの反応しか呼び起こさなかった。それに反して、フランスのユダヤ人の強制収容について占領軍に熱心に協力したことは、激しい抗議を巻き起こした。フランスの行政も警察も、ユダヤ人の強制収容には積極的に関わった。フランス国家(ヴィシー政府のみでなく)としての責任を公式に受け入れたのは、1995年になってからである。
アメリカの政治学者であるダニエル・ゴールドハーゲンDaniel Goldhagen(「ヒトラーの自発的な加害者たち」、「ありふれたドイツ人とホロコースト」1996年)が主張する説に反して、ドイツ国民の大多数が、ドイツの反ユダヤ主義によってユダヤ人の絶滅を願うように前もって植え付けられていたということはあり得ない。しかしながら、ユダヤ人の悲劇的運命にたいするドイツ人の反応の欠如を、東方で遂行された殺戮についての無知の所為にすることができないこと、そして親衛隊SSのみでなく民政および軍の行政が広範に、ジェノサイドに関わっていたことは、今後明確に立証される。
より詳しく知るために<読む>

証言
リュシー・オーブラックLucie Aubrac、「彼らは酩酊して出ていくだろう」1984年
「アンネ・フランクの日記」1977年
プリーモ・デーヴィ、Primo Levi「これが人間か」1988年

歴史についての著作
WoifgangBenz, 「ホロコースト」2001.
Raul Hilberg, 「ユダヤ民族の根絶」
<見る>

博物館および情報センター
カーン市の平和記念館
アメリカ合衆国のホロコースト記念博物館
イスラエルのヤド・ヴァシェム記念館

映画
ロベルト・ロッセリーニー「ドイツ、零年」1947年
アラン・レネ「夜と霧」1955年
Marcel Ophuls「苦しみと哀れみ」1969年
Rainer Werner Fassbinder「リリー・マルレーン」1980年
Claude Lanzmann「Shoah」1985年
ルイ・マル「さよなら、子どもたち」1987年
スティーヴン・スピルバーグ「シンドラーの手紙」1998年、および「プライベート・ライアン」1998年
ロマン・ポランスキー「戦場のピアニスト」2002年
マルク・ローテムント「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」2005年
Rachid Boucharef「土着民Indegnès」2006年
クリント・イーストウッド「父親たちの星条旗」2006年、および「硫黄島からの手紙」2007年
スポンサーサイト
trackback URL:http://billancourt.blog50.fc2.com/tb.php/736-053b1f8a