第二次世界大戦の記憶は、人びとの中に深く根を下ろしている。しかし1945年以降の年代にとって、それは大きく異なった意味合いをもつようになった。勝利あるいは敗北を思い起こす愛国的な式典は、無数の戦争の犠牲者を追悼する普遍的な式典に場所を譲った。大量虐殺の悲惨な記憶は、戦士たちの英雄的な記憶を凌駕していった。世界がより不確かになりつつある中で、残虐行為を二度と犯さないために、式典と回顧の場所の存在が次の世代に対し、記憶する義務を訴える。

第二次世界大戦は、国民の共有の記憶にどのような刻印を残したか?

フランスとドイツは、どのように自らの過去と向き合いましたか?そしてヴィシー体制と国家社会主義の犯罪を想起させる記憶についての葛藤を、どのように乗り越えようとしたか?
<年表>
1945年5月7-8 日 ドイツ降伏
1946年 ニュールンベルグ裁判
1948年 東京裁判
1961年 アイヒマン裁判
1964年 ジャン・ムーランの遺骨、パンテオンへ
1970年 ヴィリー・ブラント、ワルシャワ・ゲットーの蜂起記念碑の前に跪く
1985年 クロード・ランズマン、映画「ショア」制作
1993年 ワシントンのホロコースト記念館の建設
1995年 日本の公式謝罪
1998年 パポン裁判
2004年 ドイツ連邦共和国、ノルマンディ上陸60年記念に招待される
ショアの犠牲者の悲劇的記憶―アンネ・フランクの日記 アンネ・フランクの日記は、ユダヤ人大量虐殺のもっとも普遍的な記憶の在処であり続ける。家族とともにフランクフルト・アム・マインからアムステルダムへ逃れたアンネ・フランクは、1942年からそこでゲシュタポの追及から身を隠したが、1944年に逮捕され強制収容された。彼女はベルゲン・ベルセン強制収容所において、16歳の生涯を閉じた。アンネ・フランクの日記は1947年に初版が出て、67カ国語に翻訳された。今日では聖書に次ぐ、世界でもっとも読まれている本である。
「自由の兵士」の英雄的記憶ノルマンディのアメリカ墓地。墓石の列は、1944年6月フランスに上陸した連合軍の兵士が受容した犠牲の大きさを、今もってこの景色の中に刻み込む。
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