ヴィシー体制の存在はなぜ、長い間覆い隠され、挙国一致の抵抗というフランスの神話の背後に押しやられたのか?
占領下のフランスのもう一つの表情Marcel Ophülsの記録映画「悲しみと哀れみ」Le Chagrin et la pitié(1971年)のポスター。戦争中の日常生活の記録したこのフィルムは、1981年までフランスのテレビでの放映を禁止された。ここではレジスタンスは、極めて珍しい現象として紹介されている。
挙国一致の抵抗というフランスの神話レジスタンスを構成していた諸勢力にとって戦後の優先課題は、国民の結束とフランスの国力を取りもどすことであった。そのためには1940年の敗戦と、そして主な責任者を断罪してヴィシー体制の存在を忘れさせることであった。フランスのレジスタンスの英雄視は、占領の他の記憶、戦争捕虜と強制収容の記憶を覆い隠した。
しかしながら、うまく縫合されなかった、国民の記憶の傷口のように、多数の衝突が再発し、「
ヴィシー症候群」の存在が明らかになった。たとえば1953年にドイツ親衛隊師団の21名の兵士が、オラドール・シュル・グラーヌ村の642人の村民を虐殺した罪でフランスにおいて裁かれたが、そのなかに13名のアルザス人の「
マルグレ・ヌ」が含まれていた。彼らは有罪とされたが、すぐ特赦を与えられた。
にもかかわらず、1958年に政権に復帰したド・ゴール将軍は、ヴィシーと対独協力の記憶を背景に追いやり、少数の裏切り者の責任に限定することで、選別した戦争の記憶を根づかせることに成功した。抵抗するフランスを賛美する事業は、1964年にレジスタンス国民会議の生みの親であるジャン・ムーランの遺灰をパンテオンに安置する儀式のときに頂点に達した。
ヴィシーに対する別の視点しかし1970年以降になって、それまでヴィシーについて設けられていたタブーが次々と取り除かれた。出版物、映画、歴史書のなかで、大勢の人びとが抵抗するフランスの英雄的なイメージは消えて、より多様なニュアンスを含み、輝かしさと抑えて表現された。1973年にアメリカの歴史学者であるロバート・パクストンの著書「ヴィシーのフランス」は、
国民革命と対独協力がフランス人のイニシアティヴでおこなわれたことを明確に指摘し、大論争を引き起こした。そして占領時期についての教科書の記述の書き直しがおこなわれるまでに至った。
この歴史の再評価はしばしば、スキャンダルの暴露という形をとって、過去を不問にするというフランス社会の弱点を立証する。たとえば1972年に新聞は、ポンピドゥー大統領が、対独協力民兵であったポール・トゥヴィエに部分的恩赦を与えたことを暴露した。大統領はこの時、次のように表明した。「フランス人が憎み合った時代にベールを覆い、忘れる時が来たのではないか?」
フランス国の罪についての公式の是認共和国はヴィシー体制が犯した犯罪行為に責任を負う立場になかったとして、フランス政府は長い間ユダヤ人の強制収容にたいするフランス国家の責任を、公式に認めることを拒否してきた。しかし戦争中のユダヤ人についての記憶の覚醒は、ヴィシーの反ユダヤ主義にたいする沈黙をしだいに打ち破っていった。こうしてフランスにおいては、ユダヤ人の強制収容にたいする多くの責任が、フランスとドイツにあると判断された。
フランソワ・ミッテランは1992年7月16日の
Vel'd'Hivの大量一斉検挙を記念する式典に出席した。これは国家元首としてはじめてのことである。その後を継いだジャック・シラクは、公式に曖昧さを一掃する演説をした。フランスとヴィシーとの同一視を拒否しながらも、次のように述べた。「ウィ、占領軍の狂気的な犯罪は、フランス人、そしてフランス国家の助力によって遂行されました」。2000年になって、7月16日を「フランス国家の人種差別的および反ユダヤ主義的犯罪」を記念する日とする法律が制定された。
<用語の説明>
「マルグレ・ヌ」[心ならずも―訳注] 1942年から、ドイツ国防軍および武装親衛隊SSの精鋭部隊に入隊させられた、13万人のアルザス-ロレーヌ人に与えられた名前。脱走兵は銃殺され、服従しないものは強制収容所に収容された。
Vel'd'Hivの一斉検挙 1942年7月17日、パリ地方に住む13,152人の外国出身のユダヤ人が、フランス警察に逮捕され、イヴェール競輪場とドランシーに集められ、そこからアウシュヴィッツに強制収容された。
国民運動 ヴィシー体制のプロパガンダのテーマ。ペタン元帥が、ドイツ占領下において着手することができると考えたフランスの再建プログラムを要約したもの。
<鍵となる概念>
「ヴィシー症候群」 歴史家Henry Roussoによると、政治、社会、文化の領域で、ヴィシー体制の記憶によって引き起こされる内部衝突の症状および表出の全体を特徴づける表現。
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