歴史修正主義の極右ベルリンにおいて、虐殺されたユダヤ人のための記念碑(Holocaust-Mahnmal),建立に反対するネオ・ナチのデモ、2000年1月
「アウシュヴィッツは、日常化した脅しとはなりえない」我々にのしかかるこの歴史の重し、永遠に消えることはない汚名を、無視する者はいない。そのことで我々が非難されない日はない。[…]
私は、被告席を去ることができるとは、ただの一度も考えなかった。[…] 分別があれば、誰もアウシュヴィッツの恐怖を曖昧にできない。しかしメディアで、連日のようにこの過去について非難を受けるならば、我々の不名誉をとめどもなく演出することに対する苛立ちのようなものが、私の中に生じてくる。この演出に感謝する代わりに、私は目を少し転じてみようと思う。私の中の苛立ちのようなものを意識したとき、私はなぜこうした非難が繰り返されるのか観察してみた。そして多くの場合、記憶することや忘れないことが問題ではなく、時事的な目的のために我々の不名誉を利用することだと見抜いたと思ったとき、気が晴れる思いだった。確かに見事で、名誉ある目的だ。それでも、利用していることには変わりない。[…] アウシュヴィッツは、日常化した脅し、いつでも利用できる威嚇手段、苛立ちや意気消沈に押し込められたモラル、あるいは押しつけられた鍛錬とはなりえない。[…]
しかし、ドイツ人は今、全く普通で、他の社会と全く変わらない社会だと人が言うのを聞いて、なぜ不審に思わないのだろうか?
マルタン・ヴァルサー、フランクフルター・アルゲマイネ・ツワイトゥング、1998年10月12日
「ドイツ人は、過去から教訓を引き出した」
1944年6月6日についてフランス人が回想するものと、ドイツ人のそれとは違います。しかしその回想は、両国民のあいだに共通の感情を産み出しました。すなわち、私たちが平和を望んでいることを確信していることです。我々ドイツ人は、誰が戦争犯罪を犯したかを知っています。我々は、歴史に対する我々の責任を自覚し、それを引き受けます。[…] 二つの世界大戦の戦死者の墓場と傷跡は、すべてのヨーロッパの人びとにたいして、絶えず義務を、とくにドイツ人にたいしては、人種差罰、反ユダヤ主義、全体主義思想に反対する義務を求めています。私たちが切望する民主主義の目的とは、自由であり、正義であり、宗教的な憎悪も、民族の傲慢さも、盲目的な政治もない、すべての人びとにとっての生命の尊厳であり、平和に生きることです。[…] これらの目的を守ることこそ、1944年6月6日が私たちに課した使命であったし、またありつづけるのです。ヨーロッパは、過去から教訓を引き出しました。そして私は、我々ドイツ人が我々の現実のすべてにおいて、過去からの教訓を受け容れることを、強く望みます。[…]
2004年6月6日、カーンでおこなわれたノルマンディ上陸60周年記念式典における、ゲルハルト・シュナイダー独首相の演説。
ドイツ民主共和国における反ファシズム・レジスタンスの英雄視「反ファシストがそのために闘ったものが、ドイツ民主共和国において現実のものとなる」
フリッツ・クレマー作のモニュメントを描いた1960年のプロパガンダ・ポスター。「解放された抑留者たち」は、1958年のブッシェンバルトの収容所に建てられた。
<学習の足跡>
1.ブラント首相のポーランド訪問の目的を思い出しなさい。彼がとった行為が象徴するものは、どのような影響をもたらしましたか?
2.なぜマルタン・ヴァルサーはメディアや知識人によるアウシュヴィッツの想起を行き過ぎであると思ったのですか?
3.この東ドイツのプロパガンダ・ポスターが伝えようとする、第二次世界大戦の選別された記憶は、どのようなものですか?
4.シュレーダー首相が過去から引き出さなければならないと考えた教訓は、どのようなものですか?
5.極右のデモにたいする、今日のドイツにおける反応は、どのようなものだと考えますか?
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