評価
私たちが採用したアプローチは、難しかったと思います。小学校1、2年の子どもたちの多くは、二匹のウサギの友情の物語とは違うものを、この絵本の中に見つけるまでに手間取ったことでしょう。
その難しさは、私たちが選んだ読書の仕方にありました。それは読書を、ただそこに何が書かれてあるかを確認したり、言葉を覚えることにとどまらず、会話が意味するところを推論したり、追究することであるとしたことにあります。困難にもかかわらず、私たちは、子どもたちが読書を学ぶのを援助することを先延ばしにしませんでした!
その難しさはまた、子どもたちの生活、小学校での生活としばしば矛盾する自由の概念にあります。ここでは、クラスの民主的な、協力的な生活と両立しない概念へアプローチすることの限界もあります。
子どもたちが本から、あるいは授業から受けたインパクトの要素についての情報を集め、それを彼らが理解したことに照準をあてることもさらに重要です。それが二匹の主人公のうちどちらが好きかという質問を二度もしたことの目的だったのです。すなわち子どもたちは、自分たちの選択の理由として、感じたことしか思い浮かべません(「二匹とも好きです」、「チビ茶ウサギは、可愛くて、頭が良く、勇気があって、親切で・・・」、「デカ灰ウサギは、大きくて、力が強くて、おとなしくて、おもしろくて・・・」)。あるいは子どもたちは、二匹の主人公を行動に導く価値を全面に出します。一方には自由に生きることが価値で、もう一方は安全を求めることが価値?この絵本を読ませた教室では、自由も安全も答えでした。もっとも安全に対する自然な欲求は、自由に生きることを望む、チビ茶ウサギのほうがバランスをとっているようにみえます。
生徒たちが書いた結末は、自由を想起させるものであったでしょうか?
自由と強制収容所
ナチスの収容所、シベリアの強制収容所は20世紀の汚点です。世論がその存在を知って驚愕したにもかかわらず、強制収容所は多くの国で今なお存在し続けています。アムネスティの年次報告は、説得力を持ってこの事実をつたえています。強制収容所は、鉄条網と監視塔で囲まれた空間だけではありません。精神状態、政治的傾向、政府に対する態度においても見受けられます。外見上は収容所がないようにみえる国においても、政府機関による拷問やテロが行われていると言えるのではないでしょうか?メディアが、自らの任務としてそれを報じたとしても、ありきたりの問題として受け止められる危険があるのです。
強制収容
ナチスの各強制収容所における死者の数
Buchenwald : 56 000 Ravensbrück : 92 000 Suchsenhausen : 100 000
Dora : 15 000 Bergen-Belsen : 48 000 Chelmno : 360 000
Dachau : 32 000 Flossenbürg : 73 000 Auschwitz : 4 000 000
Maidanek-Lublin : 1 380 000 Treblinka : 800 000
Theresienstadt : 58 000 Neuengamme : 82 000 Grob Nosen : 20 000
Struthof : 80 000 Natzweiler-Struthof 25 000
Sobidor : 250 000 Mathausen : 123 000
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