生徒たちが想起するもの
フランス革命に関する生徒たちの報告は、二つの現象に影響されている。
まず革命という言葉が、決まって暴力的な意味に捉えられることである。生徒は、革命、反乱、内戦といった概念を混同する。その結果、革命をこの時期に起こった暴力という観点からしか目を向けないことになる。明らかに生徒にとっては、革命とは、まずバスティーユの奪取と革命記念日なのである。次のことを思い起こそう。すなわちバスティーユの奪取は、戦略的にそれほど重要な出来事ではないこと、そしてバスティーユがもつ象徴的な意味はそれではなく、この牢獄が支配者の自由、すなわち不正義の象徴であったということである。

全国三部会
もし生徒たちに、「革命」という言葉を聞いてすぐに思い浮かぶのは何かと問えば、彼らはフランス革命あるいは1789年と答え、新石器革命と答える生徒はほとんどいないであろう(もしこのことを詳しく学んでいないとすればであるが)。そして産業革命と答える生徒もまれにしかいないであろう。革命の概念は、変化があまりにも大きいので、以後はもはや前と似つかないものになるという意味、ひとつの社会的・政治的システムから他のシステムへの変化が質的飛躍をともなうという意味で捉えられないのである。
その結果、全国三部会が国民議会に移行することが、[ 革命の] 最初の政治局面であるということを、生徒は知らないし、大部分の大人も軽視する。この最初の政治局面は、1789年の夏に他の政治局面へと進展する。
議論のポイント
階級社会
貴族はほぼ40万人、聖職者は11万5千人、第三身分はおよそ2,550万人をかぞえた。この割合をみると、第三身分が戦略上の理由の他に、なぜ身分ごとの投票ではなく、個人による投票を求めていたかを分かり易くする。身分ごとの投票は、大いに不公正である。しかし論理的ではある。旧体制における、政治諸勢力の関係をよく表している。
陳情書
三つの身分は、陳情書を書いた。それは全国に約6万も残っている。しかし民衆の陳情書は、彼らが直接書いたものではない。陳情書を書くのは、村一番の伊達男であったり、他方では、二つの[特権]身分の陳情書はそのままの状態で国王まで届くのに、農民の陳情書は領主の執事や代官が書く陳情書に包括された。このような濾過装置があったにもかかわらず、陳情書は当時の農民の状況について、充分に信頼できる情報を提供した。
全国三部会
全国三部会は、1789年5月5日ヴェルサイユで開催された。投票方法の問題はただちに厄介な問題として、三部会の議事を麻痺させた。議会は6週間停止したままだった!6月17日、第三身分は国民議会を設置することを表明した。19日以降、他の二つの身分、とりわけ聖職者の身分における分裂によって、この第三身分の議会に、貴族議員の一部、そしてとくに聖職者議員の大部分が加わった。すべては革命的局面をつくるための準備である。そうでなければ、どのようにして絶対王政の権力と国民議会の共存が可能となるというのであろうか?私たちが次の状況の中で観察する権力の問題は、革命のあいだ、絶えずあらたな展開を見せることになる。
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