第二次世界大戦
フランスのために死んだ外国人
中心となる概念―自由、国民
概念の対象―レジスタンス、テロリズム、フランスの占領

「赤いポスター」 これが解放者か?犯罪者の軍隊による解放!
<授業>
テロリズムか、レジスタンスか?観点の問題なのか?
外国人は、いかにしてフランスのために死ぬことができるか?
「赤いポスター」は、ある程度のフランス人の心の中に動揺のたねを撒くためにつくられた。
時間配分
(5分)
各グループに、「赤いポスター」のコピーを配る。各グループは、短い間に「赤いポスター」に顔写真が載っている人物の名前や出身、その他について調べる。
(15分)
各グループは、自分たちの意見を発表する。
(15分)
レジスタンス活動家に下された判決と、彼らがおこなったサボタージュ[破壊活動]の一覧表が配られ、もう一度ポスターを検討する。生徒たちは、ポスターに載っている顔写真の人物像をはっきりさせていく。
(20分)
各グループの報告。そのとき各グループは、前の仮説と今の報告とを比較する。教師がレジスタンスについて教師が説明する。場合によっては、プロジェクターで資料を見せる。
<生徒たちが想起するもの>
状況―問題点は、ここではポスターの曖昧さについて機能する。すなわちテロリズムかレジスタンスか?ポスターはプロパガンダ作戦の一つであり、フランス市民の最も確信をもった部分に影響を与えることは期待されていない。しかし襲撃にたいする不安感をもたせ、またレジスタンスによって引き起こされる騒乱よりはナチス体制の方がましであると思わせることは期待できる。それ故「赤いポスター」は、事を面倒にし、テロリズムと「レジスタンス」を同一視させようとする。とくにクラウス・バルビーの裁判の前では、授業法が効果的であったということを思い起こそう。
それゆえここでは、生徒の注意を呼び起こさないため、そしてこの有名なポスターを見て、彼らがどのような反応を示すのかを見るため、前もって質問をすべきではない。この曖昧さは作戦なのであろうか?ある部分は疑い、ある部分はナチスのプロパガンダの罠にかかるのであろうか?
もちろんフランス人がフランスのために死ぬ!ということが、生徒たちにとって驚きであることもありうる。生徒たちは、国や国籍といった狭い概念で戦争を考える。帰化した国のために戦って死ぬということは、生徒にとってはなかなか想像しにくいことである。そして敵が国家あるいは国民ではなく、国境をもたないイデオロギーであるだけに、彼らにとってはいっそう理解するのが難しくなる。このことを理解すると、戦争が非公然の戦争である場合にはとくに、軍服など副次的な問題になる。
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