
エミール・ゾラの「我、弾劾す」(オロール紙)
<検討すべき資料>
反ドレフュス派の資料(L’Intransigeant[頑固者]紙、1897年12月12日付)
ドレフュスは、いくつもの新聞がユダヤ人に対するキャンペーンを強めていることにうんざりしていた。尊大にも彼は、ユダヤ人は決して軍隊の最高位まで達することはできないと考えていた。そしてアルザス(当時はドイツ領)に住み、ドイツ国籍を取得することが自分にとって良いと考えたのだ。彼はまず、ドイツに対する好意を示し、現在の階級のままドイツ軍に受け入れてくれるよう、ドイツ皇帝に直接手紙を書いた。ギヨーム二世は、フランス軍にとどまりスパイとしてドイツ国家に貢献する方が良いこと、ドイツ参謀部は、彼をフランスにおいて任務を帯びる士官として認識する旨をドレフュス大尉に知らせた。ドレフュスはこの条件を受け入れた。そこから裏切りは始まった。
ドレフュス派の資料(エミール・ゾラ、オロール紙、1898年1月13日付)
私は、ビヨー将軍を糾弾する。ドレフュスを無実とするいくつかの証拠を手にしながらそれを隠し、苦況に陥った参謀部を助けるために、この犯罪の片棒を担いだ廉で。私は参謀部を糾弾する。新聞、とくにエクレア紙、パリのエコー紙において、世論を惑わせ、自らの失態を覆い隠すために、嫌悪すべきキャンペーンを繰り広げた廉で。私は軍法会議を糾弾する。証拠書類を秘密にしながら被告に刑を言い渡すことで、人権を侵害した廉で。私のこの行為は、ひとえに真実と正義の表出を速めるための革命的な手段なのである。
<補足資料>
(資料1)レオン・ドーデ*によるドレフュス評、フィガロ紙(1895年1月6日)
あの嫌な奴は、フランス人ではなかった。我々は、その行為、その歩き方、その顔つきで全てが解ったのだ。
*アルフォンス・ドーデの長男。ジャーナリストで、アクション・フランセーズのメンバー
(資料2)モーリス・バレス*のエミール・ゾラ評
ゾラ氏。彼は、良きフランス人だと自認する。私は、彼の意図を責めることはしない。彼のドレフュス弁護は、彼の誠実さから出た行為だ。その誠実さに、私はこう言いたい。あなたと私の間には、国境がある。どんな国境だって?アルプスさ!
*フランスの小説家、ジャーナリスト。ドレフュス事件では、ゾラと対立した。
(資料3)ジュール・ルナールから見た反ドレフュス派、ジュルナール紙(1893年)
彼らはユダヤ人でない。だから彼らは、自分が高級で、聡明で、実直だと信じている。私はゾラを無罪放免する。沈黙で迎えるどころか、「ゾラ万歳!」と叫ばなければならない。我々の奥底から声を出さなければならない。
*次は、植民地主義
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