
フランスの植民地。盾には「進歩」、「文明化」、「通商」と書いてある。
議論のポイント
<フランス植民地政策の主な年表>
1830年 アルジェリア征服
1873年-1886年 インドシナの征服
1881年 チュニジアの保護領化
1886年 マダガスカルの降伏
1894年 植民地省の設置
1912年 モロッコの保護領化
1921年-1933年 コンゴ― 大西洋間の鉄道建設
1930年 インドシナのイエンバイの暴動
1937年 強制労働についてのジュネーヴ会議
1945年 アルジェリアおよびカメルーンにおける暴動と鎮圧
1946年 ハノイの暴動
1947年 マダガスカルにおける暴動と流血の鎮圧
1954年 ディエンビエンフーの敗北
1956年 チュニジアとモロッコの独立
1960年 AOF諸国およびAFF諸国の独立
1962年 アルジェリアの独立宣言
フランス植民地は、1870年~71年のプロシャに対する敗戦のあと、とくにジュール・フェリーが推し進めて加速的に拡大した。あたかも新たなる栄華をもとめるように!この加速は、新たな商品市場を必要とした産業の要請であった。
当時この植民地帝国に匹敵するものは、イギリス帝国しかなかった。第二次大戦の前には5大陸、1,200万平方キロにおよび、7千万の人口を擁した。
フランスの植民地政策は、常にイギリスのそれとは異なる。理論上は、イギリスが間接統治をしたのにたいし、フランスは同化をめざした。政党が二つの政策* に分裂しても、フランス政府は、帝国内のすべての住民をフランス人とし、パリが直接統治し、フランスの法律を適用した。しかし基本原理は平等の原理であっても、現実の状況は違っていた。アルジェリアにおいてさえも、原住民法 code de l'indigénatが選挙・被選挙権をアルジェリア人から奪った。この一貫性の欠如は、確実に非植民地化の条件をつくった。
*ジョレス派の社会党、そして後の共産党は除く
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