<授業2>
(グループ1および2)植民地化に好意的な資料植民地化は、「歴史」のなかの最も偉大な出来事である。
ポール・レイノー、植民地大臣、1931年5月
インドシナにおいてフランスが実現した業績は、多大である。フランスは、この国に安全をもたらしただけではない。あらゆる分野において、被保護国の境遇を改善したのである。
インドシナ総督府、1931年
その命を植民地化に献身する者はすべて、フランスの奉仕者である。この業績は、近代史における偉大な出来事のひとつとされるであろう。
フランス植民地帝国、1929年
(グループ3および4)植民地化に好意的でない資料コンゴ・オセアン鉄道の建設のために集めた労働者は、もはや熟練したものではなかった。M.Antonettiによれば、犠牲者は8,000人から10,000人に達している。鉄道建設は諦めなければならないところまできている。犠牲者は、さらに甚大なものとなった。建設すべき鉄道は、あと300kmを残すのみとなっている。
アルベール・ロンドル、漆黒の国、1929年
ポアント・ノワールとブラザーヴィルの間にあるこの森の一角で、別のところを通るので彼らには無用の鉄道建設に、5万人の黒人が自分たちの生活を犠牲にする。しかしそれは、30億フランの利益を経営者にもたらすのである。そして司法はそれについて知らぬ顔をしようとする。
マルセル・ソヴァージュ、黒いアフリカの秘密、1937年
「小作農」のサインをさせられた農民は、ゴム原料の納入が少ないと監督人によって捕えられた。ボール状の原料が地面に投げ出され、持ち主は激しい暴力を受けた。そのあと首に綱をかけられ牢獄まで連れて行かれ、そこでコンゴ-オセアン鉄道に「志願者」として送り込まれるのを待った。牢獄の記録に、これらの逮捕についての記載が一行もないのは言うまでもない。
マルセル・オメ、苦悩する大地、1934年
全てのグループに共通な資料―植民地の独立 80年以上もの間、フランス人は彼らの「自由・平等・友愛」を濫用し、我らの同胞を虐げてきた。彼らの行為は、ヒューマニティと正義という理想に逆らうものである。こうした理由から、我々ヴェトナム人民を代表する臨時政府のメンバーは、フランスとの間に今後いっさいの関係を持たないことを宣言する。
ホー・チ・ミン、ヴェトナム共和国独立宣言、1945年9月
100年におよぶ植民地化が我々の心の中に植え付けてきた憎しみ以外に、どのような感情によって、北アフリカがフランスと結びついているというのだろうか。フランス共和国の名において6千万人もの人々が、もっともおぞましい隷属に耐え忍んできた。もし自由な人間として生きたいのであれば、それは反フランスになることである。だから我々は反フランスになろう。そしていつまでも反フランスであろう。
メッサーリ・ハジ・エル・ウーマ、1939年9月27日
(付属資料)なぜ植民地化?ジュール・フェリーの演説からの抜粋
植民地政策は、産業政策の娘である。富裕な国家にとっては、開発は繁栄の必須の要因である。ヨーロッパの消費は、すでに飽和状態である。他の地域に消費者を創出しなければならない。
優れた人種は、劣った人種に向かい合う権利をもつ。彼らにとってはひとつの権利である。なぜならば、彼らにとって義務でもあるからである。劣った人種を文明化する義務をもつのである。
海軍というものは、わが海軍もそうだが、避難所、防衛施設、補給基地なしでは、航海をできないのである。
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