史的唯物論
マルクスとエンゲルスにとっては、人が生存手段を生産する物的条件が、全ての歴史の基礎を構成する。各時代は、その生産力によって特徴づけられる。すなわち人口、資源、技術的知識、分業といったものが、その時代の生産関係を生みだす。すなわち古代における技術の不十分さは奴隷を説明し、19世紀の産業の発展は大量のプロレタリアの形成を説明する。それゆえ生産手段の所有のあり方は、その社会を究極的に説明する生産関係を理解する上で、もっとも肝要の問題となる。しかしながら人間は意識をもつ。マルクスとエンゲルスは、意識の本質について、世界が観念によって導かれるという考え方を否定した。ブルジョアは、自分が自由の名において行動していると思い込んでいるが、実際にその行動を導くのは、自分の利害である。そこからふたりは、観念そのものは、物質的条件の産物であるという結論を導き出した。
階級闘争
階級闘争という言葉を発明したのはマルクスとエンゲルスではないが(バルナーブ、フランス革命)、彼らは階級闘争を歴史発展の原動力とした。「今日まで、すべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」。「宣言」が書かれた時代は、ブルジョアジーとプロレタリアートが対立した。ブルジョアジーは、資本の所有者階級あるいは資本家である。資本は、生産手段という形態をとって生産過程に投下される富である。資本は、その最初の価値を超える富を生み出す目的で、「社会の多くの構成員によって動かされる」限りにおいて存在する。資本の稼働を可能にするのは、プロレタリアート(古代ローマにおいて最下層の市民を示す言葉)であり、彼らの労働によって最初に投下した資本を超える価値を生み出す。生み出された価値と、資本家が負担する費用(資本の減価償却、原材料、賃金など)との差額は、最終的に資本家の懐に入る。言い換えると、資本家は労働者にその労働の一部しか払わず、残りの部分は労働が生み出した剰余価値を構成する。ブルジョアジーとプロレタリアートとの闘い、とりわけ賃金上昇を要求しておこなわれるストライキは、剰余価値の分配を求める闘いである。さらにマルクスとエンゲルスは、賃金の不可避的な低下と過剰生産による経済危機の悪化[生産と資本の矛盾]を予測した。それは1840年代の終わりに実際に確認された。
プロレタリア革命
マルクスとエンゲルスは、プロレタリア革命は不可避的であると考える。革命は、歴史の発展そのものの帰結である。歴史は、貴族にたいするブルジョアジーの革命の後、こんどはプロレタリアが政治権力を獲得し、経済的権力を構成するもの、すなわち所有を手にすることを望むであろう。「宣言」の作成者たちは、プロレタリアに救世主の任務を与えた。すなわち彼らは圧倒的多数者の解放を実現する。なぜならば彼らは、社会の圧倒的多数派を代表するからである。一方、資本家がすでに世界市場を創設したと考えたマルクスとエンゲルスは、あの有名な「宣言」の結びの言葉である「万国の労働者、団結せよ!」で世界革命を呼びかけた。「宣言」は、4つの労働者インターに引き継がれた。共産党の経済プログラムは、20世紀になって共産主義諸国において実現した。
また2週間ほどお休みします。
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