「戦争中、こっそりと葉隠に読みふけった自分や、武士道という言葉をふりかざして、居丈高にふるまっていた軍人たちの姿などが、ネガが突如としてポジに変るように、はっきりと見えて来たのは戦後のことである。それは奇怪で、おぞましい光景だった。
おぞましい光景というのは、自分の運命が他者によっていとも簡単に左右されようとしたことである。私は民主主義という言葉を知らなかった。誰にも教えられなかったし、読まなかった。(中略)
当時の軍人は居丈高だったと一概には言えないのだが、武士道という言葉でうかんで来るのは、なぜかヒステリックにいばっていた軍人とか、葉隠の、武士道は死ぬことと見つけたり、という一章などである。その言葉は、内容空疎で声ばかり大きかった悪い時代を思い出させる。(中略)
だがその美徳は、つまるところ公けのために私を殺す、主持ちの思想だったと言わざるを得ない。滅私奉公である。そこでは、私的で人間的なもろもろの感情は、めめしいこととしてしりぞけられる」。
藤沢周平「『美徳』の敬遠」(1991年)より
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